完全に春
日中の気力の無さはだいぶ良くなった。散歩は歩きながら何かしらするのだけど、久しぶりに何もせずただぶらぶらして、ベンチに座って持参したパンを食べてのんびりした。外はすっかり暖かくて、少し歩いただけでじわりと汗をかく。桜はおそらく満開で、通りはもう完全に春だ。ここから急激に暑くなっていき急激に寒くなっていき、いつの間にかまた数年経ってしまう。やりたいことは全然形になっていない。時間が足りない。
日中の気力の無さはだいぶ良くなった。散歩は歩きながら何かしらするのだけど、久しぶりに何もせずただぶらぶらして、ベンチに座って持参したパンを食べてのんびりした。外はすっかり暖かくて、少し歩いただけでじわりと汗をかく。桜はおそらく満開で、通りはもう完全に春だ。ここから急激に暑くなっていき急激に寒くなっていき、いつの間にかまた数年経ってしまう。やりたいことは全然形になっていない。時間が足りない。
昼から散歩して日光を浴びる。昨日が嘘のように気力に満ちている。ただ疲れの問題か、目のピントが合わなくてつらい。ストレスによるものかもしれないが、これによってさらにストレスが増大する。目のピント以外は良い状態なのだけど、あまりにも目が見えにくいので夕方にちょっと寝た。完全には治っていないが、寝る前と比べればだいぶ良くなった。
さまざま考えた。時間は嫌いだけど、時間こそが人間なのだと思ったり、ストレスはギャップなのだと思ったりした。
昨日に引き続き気力の無い日、ただ少しは回復した感じで、散歩に出ることはできた。歩いたり喋ったりすればたいてい元気は出てくるけど、そこそこ歩いてもだるいままで、なかなか気力が湧かなかった。おすすめされた鉄分の入った飲むヨーグルトと、なんか疲労によさそうなラムネ、水分不足の可能性も考えて水も買って帰ると、いつのまにかだるさは無くなっていた。どれの効果かはわからないが、まあ気力が少し湧いたんでよかった。だるい時にはこの組み合わせで対応しようと思う。
気力が弱すぎて、ぼーっとしてたらいつのまにか十時間経っていた。外に出る気が出ない分、せめてカーテンだけは開けて日光を浴びた気になりつつ、ちょっとだけゲームをやって動画を見ていたくらいの記憶しかない。眠いというわけでもないし、ただただ気力がないという感じだった。気力はどうしようもないので、休むに限る。
数日ぶりに日光を浴びた。近所で焼き鳥を買って、公園のベンチでのんびり食べた。平日の昼間にこんなことが出来るのはとても幸せなことだと思う。三時間ほど散歩して、一万二千歩を歩き、少し膝を痛めて帰った。花粉症がひどいので薬を短時間で二回分飲んだため、急速に眠くなった。眠すぎたが、もう昼夜逆転をしないために絶対に寝るわけにはいかないと思いかなり我慢した。朝に起きて、日が出ているうちに散歩をし、ちゃんと飯を食って夜にちゃんと寝る。当たり前の健康的な生活を送ってきたい。
歌っていたら頭がくらっとしてじんわり全身が気持ち悪くなった。いつもと違う状況だったため、緊張感で気づかないほど小さなストレスや不安感が積み重なったものなのか、単純に寝不足か、とにかく短時間だけどとても気持ち悪かった。無意識に力が入っていたのか肩が痛くなったりもした。これにも慣れていかないといけないと思う。
いま楽しい。何か目に見える形で具体的に進んでいるわけではないけど、とにかく楽しい。もっともっと楽しくなっていく。
好きなのか嫌いなのか、そのどちらでもないのか、何にしろ反応があることで次の何かは生まれると思う。無反応は、恐怖に近い何かを感じる。何も起こらずそこにあるだけの何かが石や木なら納得するが、人となると話は変わってくる。そこに必ず心があることを知っているし、その人の周りに張り巡らされた人間関係の糸があることも知っている。行動自体は好意的な意思表示をする時のそれと変わらないのに、言葉も声も表情もなく、ただただ無反応を決め込んでそこにある姿は少し不可解だ。
日々、やったことないことに少しずつ挑戦している気がする。ちまちまとした細かい挑戦には誰も気づかないし誰も驚いたり感心したりしないけど、そういう積み重ねが大きな変化を生むことを知っている。変わっていく姿の中にぶれない心を持つ。グラデーションを突き抜ける一色を飾る。
連絡を返すのが苦手というかなんというか、人と連絡を取るのが億劫で仕方ない。いまやリアルタイムですべてが共有できてしまうので、何も意識せず自分だけのゆっくりした時間を保つことが簡単ではない。なんにも考えずただゆらゆらぼーっとしていたい。すきな時間にすきなことをすきなだけ、それだけしていきたい。それだけしかない。放置した大事な連絡を、いま返しても問題ないだろうか。こんなことを考えなきゃいけないこと自体が疲れる。だったら早く返せばいいじゃんっていう言葉にも疲れる。時間から解放されたい。
最近は面倒臭いことに巻き込まれていくことが多くなったと思う。まあこれも動いている証なのだろうか。面倒臭いことを極力避けてきたつもりだけど、その結果どうしても面倒臭いことになってしまう。ああ面倒臭い。意図せず出遭う貰い事故のようなものは、時に知らない世界を見せてくれるので、結果よかったと思うこともあるけど、やはり事故なので遭いたくはない。守るなんてのはとても思い上がりの表現かもしれないが、守りたい人たちを守れるようになりたいと強く思う。