健康的な生活

 数日ぶりに日光を浴びた。近所で焼き鳥を買って、公園のベンチでのんびり食べた。平日の昼間にこんなことが出来るのはとても幸せなことだと思う。三時間ほど散歩して、一万二千歩を歩き、少し膝を痛めて帰った。花粉症がひどいので薬を短時間で二回分飲んだため、急速に眠くなった。眠すぎたが、もう昼夜逆転をしないために絶対に寝るわけにはいかないと思いかなり我慢した。朝に起きて、日が出ているうちに散歩をし、ちゃんと飯を食って夜にちゃんと寝る。当たり前の健康的な生活を送ってきたい。

上がる

 歌っていたら頭がくらっとしてじんわり全身が気持ち悪くなった。いつもと違う状況だったため、緊張感で気づかないほど小さなストレスや不安感が積み重なったものなのか、単純に寝不足か、とにかく短時間だけどとても気持ち悪かった。無意識に力が入っていたのか肩が痛くなったりもした。これにも慣れていかないといけないと思う。

 いま楽しい。何か目に見える形で具体的に進んでいるわけではないけど、とにかく楽しい。もっともっと楽しくなっていく。

イシ

 好きなのか嫌いなのか、そのどちらでもないのか、何にしろ反応があることで次の何かは生まれると思う。無反応は、恐怖に近い何かを感じる。何も起こらずそこにあるだけの何かが石や木なら納得するが、人となると話は変わってくる。そこに必ず心があることを知っているし、その人の周りに張り巡らされた人間関係の糸があることも知っている。行動自体は好意的な意思表示をする時のそれと変わらないのに、言葉も声も表情もなく、ただただ無反応を決め込んでそこにある姿は少し不可解だ。

しん

 日々、やったことないことに少しずつ挑戦している気がする。ちまちまとした細かい挑戦には誰も気づかないし誰も驚いたり感心したりしないけど、そういう積み重ねが大きな変化を生むことを知っている。変わっていく姿の中にぶれない心を持つ。グラデーションを突き抜ける一色を飾る。

時間から解放

 連絡を返すのが苦手というかなんというか、人と連絡を取るのが億劫で仕方ない。いまやリアルタイムですべてが共有できてしまうので、何も意識せず自分だけのゆっくりした時間を保つことが簡単ではない。なんにも考えずただゆらゆらぼーっとしていたい。すきな時間にすきなことをすきなだけ、それだけしていきたい。それだけしかない。放置した大事な連絡を、いま返しても問題ないだろうか。こんなことを考えなきゃいけないこと自体が疲れる。だったら早く返せばいいじゃんっていう言葉にも疲れる。時間から解放されたい。

思い上がり

 最近は面倒臭いことに巻き込まれていくことが多くなったと思う。まあこれも動いている証なのだろうか。面倒臭いことを極力避けてきたつもりだけど、その結果どうしても面倒臭いことになってしまう。ああ面倒臭い。意図せず出遭う貰い事故のようなものは、時に知らない世界を見せてくれるので、結果よかったと思うこともあるけど、やはり事故なので遭いたくはない。守るなんてのはとても思い上がりの表現かもしれないが、守りたい人たちを守れるようになりたいと強く思う。

予感

 ひたすら眠くて、長時間寝てしまった。起きてる間はインターネットのことしか考えていないくらいに楽しい。これが続けばいいと思う。こんなことばかり言っている気がする。

 なんとなくだけど、新しい自分に出会える予感がしている。正確には新しい景色、今まで出せていなかった自分が出していけるような、そんな予感がする。

何も変わらない

 本当にこれでいいのかと悩む時があるけど、悩むよりやっちゃえの時もある。ここのところ、あんまり人に見せたくないなあと思うものを見せようとする動きをとっている。その先に何が待っているかを考えていたらとてもじゃないけどできないという類のものばかりだ。

 心を無にして、ただ勢いでやっちゃえ、なのだ。やっちゃってから考えればいいとも思うし、考えてみれば、別にそれ、今すでにやっていることと何ら変わりないよね、ということだったりもする。やってもやらなくても、何も変わらない。

対話

 人と長時間話すのは疲れる反面、とても楽しい。対話によって生まれる考えや気づきがあり、自分の心を再発見することもある。一方的にただ意見を述べることは簡単だが、それを意図する方向に受信させるのは難しい。それが対話の相手がいるだけで話は掘り下げられ、限りなく真意に近づいていく。断片的な情報だけで判断されることが多く、こういう機会を大事にしたいと思う。

模索

 昼、夜と歌った。ありがたいことに投げ銭をいただきつつ、楽しく過ごした。そういう道を模索してもいいのかもしれない。そういう道というのはインターネットで稼ぐ道だ。すきなことをすきな時にすきなだけやって、それで飯が食えたら最高だと思う。そんなふうに生きていけたら最高だと思う。