三時のぶらり

 深夜三時過ぎに外をぶらぶら歩いていると、人通りが減ってかき混ぜられなくなった空気が、とても透き通って感じられる。感じられるだけで、そんなことはない。

 決して安全運転とは言えない速度で駆け抜けていくトラック、棚の整理などで忙しないコンビニ、その明かりに群がって休む車たち、人々の呼吸が聞こえてくるようで聞こえない。

 夜は孤独に思えるが、そこに生息する人々と、とても深いところでの結びつきを感じる。一人あたりの面積が広いから、ゆったりと自分も他人も見つめる余裕があって、そうやって朝へ向かっていく時間を共有していることそれ自体に強い意味を感じる。でもたぶん、結びつきも意味もない。

 孤独は消えないが、そのおかげで共有できる孤独がある。

まずつづける

 三日坊主という言葉がある。長続きしないということであるが、それはきっと、やろうと思っていることへの理想が高いことが原因の一つにあるだろう。書くことを始めて三日目、これくらいのものでいいでしょうという感じで、適当に済ませてみる。

 まずやってみる、その次に、まずつづけてみる。

もっと楽しく

 思えばもう五年以上の間、万全の体調であることがほとんどなく、不安ばかりの日々だった。腹痛、嘔吐、耳鳴り、動悸には常に悩まされていたし、何度もめまいとともに倒れて冷や汗だらだら、病院に運ばれても異常なしと言われるだけで、もう死が近いのかもしれないと何度も考えた。感じたことのない痛みが全身に現れたり、決して弱くないはずだった精神もかなり疲弊していたと思う。

 多くの人に助けられてきたと思う。まともに他人と連絡も取れないし、時間も守れないし、当たり前のことを当たり前に出来ない。ただ諦められているだけかもしれないけど、それでも変わらず接してくれる人たち、誘ってくれる人たちがいる。現実にも、インターネットにも、大切な人たちがいる。幸せなはずなのだと思う。

 絶対に朝は来ると自分に言い聞かせて歩いてきた。そのために徹底して自分のために生きた。たぶん失ったものも多くあるけど、得たものも多くある。半年ほど前から徐々に回復が見られて、ここのところ、とても体調が良い。楽しい。たぶん、たぶん大丈夫だ。これからもっと楽しくなる。楽しくする。

みち

 やりたいことが多すぎて、考え過ぎた挙句に何も始まらないことが多い。思いついた直後はわくわくが止まらなくて、あれもしたいこれもしたいとアイディアが溢れてくるのに、さらに具体的に考えていくほどに、様々な問題が出てきて、結局まとまらなくなる。

 そんな自分が嫌になるから、とりあえず小さく小さく始めてみる。始めてみれば見えるものがあって、始めてみないことには見えないものがある。未知の世界を冒険したい。未知は道なのだ。